200日のもつ意味について。


(メリークリスマス★)


25日は毎年クリスマスパーティーを実家でやってます。
キリスト教徒ではないのだけど、でもなんとなく家族の行事みたいな感じになっていて、プレゼント交換とかもしちゃったりします。(しかも毎年1,500円という限られた予算でいかに素晴らしいものを買うかを競う(意味不明))

家族で過ごす時間は貴重だなぁなんてことを年々認識します。
僕には二人の妹がいるのだけど、二人とも清水と児島になっていて、それぞれ子どももいます。会うたびに姪っ子たちの成長を嬉しく思うわけですが、大野家として一同に揃うことはもうそんなに簡単なことじゃなくなってます。
もともとよく会話する家族だから、たまに会うといろいろと聞きたいわけですよ。彼女たちの主な関心は僕の恋愛事情にあるのですが(そして目立ったアップデートはない)、兄としては姪っ子たちの成長奮闘記なんてのも聞きたいし、両親が最近どんなテレビを観てるのかとか、最近行った素敵なレストランのこととかね。
でもそういうのがままならない。当然と言えば当然かもしれませんねー。
僕も結婚していたら子どももいたでしょうし。

この間、誰かがTwitterでつぶやいていて、『確かにね』と思ったことがあって、それは、こんなことでした。

毎年両親や家族に会うのは年に10日くらいだとします。(もちろん同居だなんだでもっと多い人はいると思いますけど)
両親が今60歳で、80歳まで生きると仮定したら、あと200日なんすよ。200日ってだいたい半年分っすね。半年って、ほとんどノーマーク的にすり抜けていくあの『半年』ですよ?
だから、もっと大切にすべき時間があるんじゃないの?っていう話でした。

もちろん、忙しい毎日があって、悩ましい問題もあって、どうにもならないことも多々あるのだけど、『あと200日なんだ』と思うと、僕の中の何かが動くわけです。

そんなに急に生活が変わるわけじゃないし、変えられるわけでもないと思うのだけど、『家族』のことを考えると、自分の役割とか、自分のできることとか、まだまだあるように感じるわけです。もっとできることあるんじゃないの?って。だってあと200日だぜ?って。

そんなこんなで、最近よく母親に電話してます。
メールが来たら、その回答を電話でしたりするの。とても簡単なことなんだけど、それ、結構喜んでくれてるみたい。

200日が持つ意味、考えすぎる必要はないと思う。
でも、どこかで意識すると、きっと何かが変わると思う。

そんなことを思うクリスマスも素敵ですね。
メリークリスマス★