棚の下まで歩け。


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(棚からこんなきれいなぼたもちが落ちてきたらそれはそれはラッキー)


棚からぼたもちの話は僕の比較的好きな話なので、ここにも書いてしまおうと思います。この話に出会ったのは、たぶんもう10年くらい前じゃないかと思うのだけど、とってもしっくりきているのです。

『棚からぼたもち』ってのは諺で、もう説明の必要もないと思うけど『思いがけない幸運に恵まれること』って意味です。

でも、棚からぼたもちが落ちてきただけじゃあ意味がないんですよ。
想像してくださいね。仮に、いま自分の家の棚から(ないけどね)急にぼたもちが落ちてきたら、「お!ラッキー!」ってなりますか?
それよりも「え?マジ?掃除しなきゃじゃん…」って思いません?
そうなのです、想像しただけでも全然『思いがけない幸運』じゃない。

この諺の奥深いところは、『ぼたもちが落ちてくる前に自発的に棚の下まで移動してる』っていうのが前提になっているところなんっす。
それで、僕はやっぱりこの『自発的に』というのがたまらなく好きなのです。


有名企業の社長さんに『なぜ著名な社長になれたん?』と聞くと、かなり多くの方が『運が良かった』と答えるそうです。でも、彼らにも同じことが言えるんではないかと。

自発的にはじめてみたら、たまたま助けてくれる誰かが現れ、たまたま必要としてくれるお客さんが現れ、たまたまある朝の新聞記事になり、たまたまテレビにも出て、、、というように全部が全部『たなぼた的』に見えるのかもしれない。

いや、でも最初の『自発的にはじめてみたら』ってのがないと、どこにもつながらない。
上に書いた文章でさえ、起点がなくなるわけで、人生に落とし込んで考えてみたら、そりゃ何も起きませんわ。

人生なんて大それたことを言うつもりはないんだけど、ほとんどの場合は、棚の下まで行っても何も起きません。そこに棚があるだけです。棚に背中を向けた瞬間に落ちてくるぼたもちもあるかもしれないし、行けば毎回落ちてくるってものじゃない。

でも、たまたまそこまで行ったことで、たったその1回で、もしかしたらぼたもちが落ちてくるかもしれないわけです。

年取ったから棚まで行かないなんてのは愚の骨頂です。
棚まで行くのに年齢は関係ないと思う。

もし思い当たる節があるのなら、この言葉を贈ります。

『棚の下まで歩こう』

ね。これほとんど自戒ね。