「わからない」は差し出そう。


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(わからないは差し出そう)


これはある方に宛てるエントリーです。
それはあなたかもしれないし、あなたかもしれないし、あなたかもしれない。
とにかく、とある方に思いを寄せて書いています。

わからないことを聞くことは恥ずかしいことではありません。
むしろ、わからないことをすっと差し出すのはとってもクールなことだと思います。

僕も昔は、本当にちょっと前までは、人前で『あのー、それ知りません』と宣言する恐怖感がありました。あいつはモノを知らないんだなとか、まぁ低学歴だから仕方ないよなとか、わからないことを問うこと以上のハードルを感じたことも少なくありません。
当時は『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』というのを『嘘だ』と思ってました。

あるとき、後輩ができて、そいつは『すいません、自分バカなんでわかんないんす。教えてください』といろんな人に聞いてまわってました。
まぁ本当にそいつは不器用で、一回で覚えられないことも多々ありました。もうちょっと考えてもいいのになぁと思うことも多々ありました。教える僕らも『おまえまたかよ、いい加減にしろよ』と怒ることもありました。でも怒られても聞くわけです。『すみません、でもやっぱりわかりません』とかってへこたれない。

1年が過ぎて、ある時、僕が知らないことをそいつが知っていたことがありました。「あ、それは○○さんが教えてくれたんですけど、XXXです」みたいにすっと差し出された。正直、不思議な感じがしました。だって、教わるなんて思ってなかったから。

今振り返れば、それがきっかけになっているのかもしれません。

徐々にわからないものはわからない、と人に伝えるようにしていきました。
多少なりともの自己改革です。

よくよく注意すると『わかった気になっている』ことって非常に多いんです。会議中に使われる胡散臭い横文字やPLの基本的な見方、必要な法律のこと、政治の仕組み、将来の経済の見通しや為替の推移。まぁとにかくわかんないことだらけです。
『震災後、円高になった』という事実はわかっても、なんでかよくわかりません。普通は日本が不安定になるんだから円を持っていたくないんじゃないの?と思っちゃうわけです(だいたい円高が安くて円安が高いし!笑)。

たまに訪れるサイトのパスワードだって忘れちゃうことありますよね? あるでしょ? 自分のことだって怪しいのに、世の中のこと全部わかろうなんて500万年早いわけです。

聞いてみると、大したことではないことがよくわかります。
「それは○○だよ」とか「XXって意味です」とかすぐ教えてくれる。ほとんどの人が『こいつアホやな』なんて思わない。ただの僕の被害者意識(コンプレックスとも言うのかもしれません)が大きな壁を作っていたんですよね。
これがなくなると、あら不思議、とっても楽チンで。むしろリラックスしてくるからよりわからないことは聞けるようになります。
さらにね、より自分に素直になれるから『調べてみよう』が義務感から解放されるんです。あの感覚は不思議でした。人に言われた調べものは進まないのだけど、自分が知りたいと思うと、積極的な心持ちになると、アクションまで変わってくる。

だからね。
知らないことは恐れずに『知らない』でいいんだと思う。
虚勢はって、自分を大きく見せることが必要な場面もそりゃありますわ。男だったら、そういう瞬間がないというのは嘘だわ。

でも普段くらいはさ、リラックスしてさ、やんなさいよ。
自分一人が知らないくらいで、誰に迷惑かけるわけじゃないからさ。
で、誰か知らないことに困っていたら教えてあげればいいよ。

知らないことがあることで人とのコミュニケーションがうまれるって考えると、毎日がより素敵になるかもね!